ぐ . るぶる ver.20

ナツ もしくはnatsuまたは夏 が書いてます。残す場所。

夢に大友さんが登場。なんだか目が覚めてしまった。
午前3時。


風邪っぴきも落ち着いてきたような?
ゆうごはん終えたらウインドまで映画を見に行ってもいい?ときいたら、OKの返事。
舞台挨拶のある時間は絶対に混むと思って避けた結果「KIKOE」初上映の回。
夜のウインドゆえ、両手で数えられるくらいのお客さん。
(楽しみにしているひとは次の日の舞台挨拶の回に流れてるんじゃないかとおもう)
マスクして鑑賞。



「KIKOE」は、大友良英のドキュメンタリー、ということになっている。
でも実際は、大友さんのドキュメンタリーと言っていいのかよくわからない。
そりゃあ確かにドキュメンタリーなんだけども。
たくさんのシーン、たくさんのかけらを繋ぎ合わせたような映像。
たくさんの人が出てきては語っていく映像も挿入されるけれど、
みんながみんな大友さんについて語っているわけではないような。


映画だけでは大友さんの実像がわかるわけではないように思う。
彼をまったく知らない人が見たら、まったくわからないかもしれない。
もし大友さんを知らなかったら、たぶんわたしは眠っていたとおもう。(知ってのとおり、わたしは映画館で眠るのがけっこうすきなひとなのであるわけでーー)
しかし、まあ、そんなひとは見に行かない、に500点。



んで、一夜明け、さっきお寺に行って、ひさびさのライブを見てきた。
今回の大友さんは、自身のかかわったサウンドトラックを中心にした演奏。
はじめに宣言していたとおり、爆音はひかえめ設計。


終了後、ご本人とおはなしした。
映画についてきいてみた。
映画の登場人物に関しては、本人でさえ、8割くらいしか知ってる人いない。会ったことない人もいる、と笑っていた。
そっかーーーー
だよね。だって、語ってる人、大友さんの話してないもんね(笑)
これってみごとに「監督の映画」だよねー


本人さえも、あの映画って「大友良英ドキュメンタリー」って言わないのかもしれないね、って。
うん。大友さんを知ろうなんて思っていくと、躓いちゃうような。
と書いてはみたけど・・・・でもさ、見に行く人も、そんな期待ははなからしてないような気もする。
たぶんこれを見に行くひとはきっと、ふつーのドキュメンタリー番組みたいな映画が見られるなんて思ってないよ。ね。
この映画、 惑星に例えた、大友さんと関係する周りの人や音の配置図を、遠くで眺める感じ。なんだー





たずねたわたしに、
「自分の顔なんて、みたくないでしょ?」と笑う大友さん。
映画にしてほしいなんておもったわけじゃないよー、
つくりたい、という情熱をもったひとがそこにいたら、OKをだすしかないよね、と。
3年も4年もずうっとくっついて撮影にまわっていたという監督に。
それでも自分の名前を挙げた映画だからこそ、最終段階でさえもカットしてもらった部分もあった、って言ってたけど。



映画のなかで残っている言葉。
「眼は閉じることができるけれど、耳は閉じることができない」
聴いているのではなくて、聴こえている のか。
それが、きこえ、のタイトルにつながるのかな。
…と書いて、今、なんだか先週の「水と余韻の音楽」の冊子で目にしたことに繋がっていくような気がした。



映画ミニ補足
ミーハーな(というかマニアな)はひとには、登場人物さがしはかなり面白いと思う。
パンフを見ると、答えあわせができそう。
そういう楽しみ方もできるかもよ。
(別にそのために作っているわけではないとおもうけどねー)



わたしはあれだなー、やっぱり菊地のナルさんって親切設計なひとだなーって思ったわ。
わかりやすさが挿入される。話す言葉にストーリーつくるのうまいよね。
おまけに、ちゃっかりSWEET MEMORIES 歌っちゃったりなんかしてるんですけど…
(この映画のなかじゃ登場部分カットしてもいいくらいだったけど、って本人さんが言ってたのにちょっと笑った)



ほかにも話したいことあったんだけどなー。
だから夢にでてきちゃったのかもしれない。
ま、いいか。いいや。



パンドラの匣」「牛の鈴音」「つむじ風食堂の夜
4月はウインドに行かないと